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インドシナ半島の三ヶ国-ベトナム,カンボジア,ラオス. 私たちには共通にフランスの植民支配を受けて1970年代以後社会主義国家の道を歩いた国で記憶される。

特にカンボジアはクメール ルージュ(Khmer Rouge)の執権期の1970年代後半,全国土が言葉どおり死の野原になった事件を扱った‘Killing field(Killing Field)’という映画で暗い記憶を垂らしている。 軍事政権の刃物などが鋭く光った学生時代に団体観覧を通じて,カンボジア全体人口が800万人だった当時に処刑されて虐殺された人が何と200万人という事実に接しながら,驚きを禁じられなかった。

千年の神秘を大事に保管したアンコール遺跡地のシエムニプ(Siem Reap)へ行く道は通常の観光地とは違うようにそんなに易しくはない。 直航路線を乗って行けば良いが,事情が不如意である大部分の東南アジア リュックサック旅行者らはタイを経て,カンボジアで入国する。 タイにもバンコク エアーが運行するバンコク-シエムニプ行った航空路線があったりするが独占なので価格が非常に高いためだ。 一般的にリュックサック旅行者らはタイの国境都市であるアラニャプラテッ(Aranyaprathet)を経て,カンボジア国境都市であるポイペッ(Poipet)をジナ シエムニプでに移動する。 ところでポイペッでシエムニプでに移動する道路が包装されていなくて思ったより時間がたくさん必要とされる。 お尻を痛くする自動車のガタガタ音を立てることと自動車が過ぎ去れば土ぼこりが覆われるようになる畑堤防道. 我が国1950年代農村の風景と似る。

当時の宇宙観を表現した‘アンコール ワット
アンコール遺跡はクメール帝国の社員らで,1992年ユネスコ世界文化遺産と指定される程人類が残した立派な建築物と評価されている。 雄壮で巨大な建築物がとても繊細な組閣らでいっぱいだ。
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あまりにも膨大な遺跡が散らばっていて,一日に社員をみな見回すのはほとんど不可能だ。 遺跡ごとに別途の入場料がない代わりに統合入場券(1日券,3日券,7日券)を発行するので日程に合うように計画を組んで観覧した方が良い。 莫大な分量上かなり難しいことだが,インド古代のサンスクリット大叙事詩の‘マハーバーラタ(Mahabharata)’と‘ラーマーヤナ(Ramayana)’をあらかじめ読んで行けばもう少し深みある感想ができる。

アンコール ワット(Angkor Wat)はアンコール遺跡の中で遺跡では最も規模が大きいのだ。 当時の人々の宇宙観を建築物で表現したことで,‘石で作った宇宙の模型’ということができる。 他のと違い死を象徴する西の方に入口が出ていて,建築目的に対して色々と分析したりもする。 大きく3階になっていて上の層でますます面積が少しずつ狭くなる。 1階回廊には一方向に2種類主題で組閣して,総8ヶの主題を表現したのに,精巧さの極限状態を成し遂げる。 各階の外部には回廊があって,3階中央と隈にはレンゲつぼみを形象化した5ヶの塔がある。 アンコール ワットを上がれば地獄で至高の天上世界を行ってくることだと表現するのに,今は工事中なので上がることはできない。

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自然の二重性をのぞくことができる‘タ・プローム’

アンコール帝国の最後の首都であったアンコールトム(Angkor Thom)はその中に色々な遺跡が集まって,団地を成し遂げている。 神の世界と人間の世界を連結する虹を意味する南門を通じて入場するのに,内部にはバイヨン(Bayon)をはじめとして,象テラス, バーフオン(Baphuon),ピミアナカス(Phimeanakas)等がある。
 特にアンコールの微笑で呼ばれる四面像はチァヤバルマン7才(Jayavvarman‡Z)‚〓轤セと見なされる。現在は54のの中36ヶだけ残っている。

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アンコール遺跡中独特の見どころを提供する所はタ・プローム(Ta Prohm)だ。 アンゼリナ・ゾーリが出演した映画‘トゥーム レーダー(Tomb Rader)’の撮影会場でも有名なこちら-そのおかげで映画を撮影しながら,アンゼリナ・ゾーリがスタッフらとしばしば立ち寄ったという(Psah Chas)のカフェ‘レッド ピアノ’も有名で,ジョリーがカンボジア子供を養子にする契機になることもした-はあたかも廃虚のように放置されている印象的な遺跡だ。 時間の流れと共に自然がどのように遺跡を崩れるようにしたのかその過程と結果を見せている。 ジャングルのように巨大な木の根元と幹が遺跡の柱と屋根を抱え込んだり押し倒している姿が異色であり,破壊と創造という自然の二重性を見られる。 自身の胸が鳴る声を聞くことができる‘号泣の部屋’も省けない見ものだ。

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この他にも美しい日暮が見られるプノム パケン(Phnom Bakeng),アンコール遺跡の中で最も美しいバンテアイ・スレイ(Banteay Samre),等も逃せば惜しい遺跡らだ。

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カンボジア シエムニプあちこちには幼年時代の私が枠をあわせて座っていた。 空き家に単独で遊んだ子供はご飯の時に合わせて入る出て行ったお母さんが戻る姿を見て佗びしい涙を流したし,小川街には痩せ細るみすぼらしい姿に腹だけ‘パッと’飛び出してきた子供たちがばた足を打っていた。 刈りいれを終わらせた畑には牛らが暇そうに草を食べていたし六,七の妹らは一様に5,6才弟を背に負っていた。

本当に妙なのが人の心だ。 ひどく脱出したかった腹がへった山奥の村の人々と貧しい時期の記憶らが今は夢の中にも現れるように願うという話だ。 私がアンコールとチベットの人々に執着した理由が流麗な建築物や文明の跡でなく私の記憶中の片鱗になってしまった成長の破片らを集めるための過程であったのをそちらに行って悟ることができた。

実は今回の旅行が既存の私の旅行とは全く違う一種のパッケージだったためにアンコールの人々をたくさん会ってみられなかった。 パッケージということが情報習得と速度感あるように候補地を体現できるという長所はあるが深くて詳しく見るのは限界があるはずだ。 リュックサックを担って必ずまたこなければならない'という考えた。

アンコール・ワット遺跡がある2月のシエムニプは平均気温が30度以内で私たちの初夏のように暖かくてさわやかだった。 初日訪問した半分帯子供スリー(Banteay Srei)はクメール帝国のラジェンドゥラバルマン2才(944〜968)時彼の師匠のバラモン僧侶ヤジナバラハがシヴァ神に献呈した社員だ。

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半分帯子供は‘女性の城砦’という意味だ。 恐らくピンク色砂岩と赤いラテライトゥソクを建築材料で使ったためだろう。 また社員全体が紅蓮のように派手で不調になった彫刻が精巧なうえに規模が他社員に比べてこぢんまりして,あたかも美しい女性の姿を持つようだ。

こちらは考古学者など間で‘クメール建築芸術の宝石’と呼ばれるのに繊細で深く刻んだにもかかわらず優雅で派手なラインがそのまま生きている。 それで学者らの間ではクメール人が半分帯子供をアンコール・ワットの縮小版として,あらかじめ練習して着工に入ったのではないかという主張もある。

特に注意深く見る所がアンコール・ワットでも発見される伸展両側の派手な場犀角なのに実際本を保管する所でなく文を分からない国民らのために絵でヒンドゥ神話を説明する。 場犀角は‘ラーマーヤナ’と‘マハーバーラタ’を刻んだ二冊の経典であるわけだ。 チベット仏教のマニチャ(これを一度回せば経典一冊を読むようだということ)や私たちの査察の外壁を飾る‘幀画’や‘不和’のような意味であろう。

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中央性巣にはシヴァ神の男根を象徴するリンガ(Linga)が立っていてシヴァ神の夫人のパラマのふりの子宮を象徴する構造物もある。 これは恐らく生命の繁殖と創造を祈る意味をこめているようだ。 またアンコールのその他の塔らに比べてこぢんまりした大きさの性巣塔が色々な無理があるのに,基壇の上に赤いラテライトゥソクで4段の塔を積んであげた。 塔の東に文があって,残りは皆にせ物文だ。 3ヶ所の性巣中二つはシヴァ神を,一つは雨簡単に迷惑神のためであるところという。

ヒンズー教は二度とを崇めるのに代表的な3シーンがある。 破壊の新人シヴァ神と秩序の新人雨簡単に横になられた,そして創造の新人ブラフマー神だ。 ヒンズー教で善と悪が共存する。 シヴァ神は破壊のための破壊をするのではなく生命の新しい誕生と創造のための破壊を行うのだ。 はっきり調べれば世の中に絶対悪徒絶対先もないようだ。

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それは仏教の輪廻(三四と)とアップ(カルマ)死傷(史上,思想)と似ている。 現在の人生は過去のカルマの結果で,誕生と死のサム紗羅と関連になるということだ。 終わりなしに反復されるサム紗羅とカルマのくびきで解脱することがヒンドゥ信仰の最終点だ。

キリスト教とイスラム教,ヒンズー教と仏教が一根というものは私たちが十分分かる事実だ。 しかしギリシャ神話とヒンドゥの神話が似るということを知っている人はそんなに多くないだろう。 半分帯子供スリーの主人のシヴァ神が瞑想から目覚めて,夫人のパラマのふりと愛に陥ることになった理由が愛の新人カマシンが撃った愛の矢を通じてであったという話はキューピットのそれと似ている。

人間として千年に一回ずつ自身の頭をブラフマー神に捧げて,永生不滅を得たというラバナがシヴァ神の権威に挑戦して,山の下に封印されたという大きな課題はゼウス信義権威に挑戦して,岩山に縛られたプロメテウスの話と似ている。 自分の身はもちろん太陽と月まで飲み込んだ食欲の所有者の刃物するのに(シヴァ神の三つ目部の)は自分の身まで食べてしまった飢餓と食欲の象徴エリ式トンと似る。

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全知全能だというエホヴァも自らを‘嫉妬する神’としながら他の神を崇める場合3〜4代にかけて,罪を返すようにさせて従う者は過小評価まで恩恵を施すという背筋が寒くなった警告をする。 シニ完ぺきな絶対者の姿としてだけでなく人の歴史の喜怒哀楽を共にしているという信頼があるから神に恐れと同時に懇意さを感じるのでないかと思われる。

ヒンズー教の聖典のパガバドゥギタ(Bhagavadgita王様の歌)では解脱に達するところを三つで話す。 最初は輪廻から抜け出すところであり,2番目は直観的洞察の道で最後は献身と愛を入れた博愛の道だ. しかしこの頃のヒンドゥ信仰は修行を通じた解脱でも深い洞察の世界よりは神を崇めて頼って,現世の苦痛を忘れて次の生でより良い姿に生まれるのを最高とする。

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人々は解脱や哲学的完成に達する高尚な道よりは重労働の難しい束縛と貧困のくびきから解放されることに執着するのは当然のことであるようだ。 今日の宗教は人間救援という本源的話題を逸脱して,物神と享受する者らのために服務している。 もしかしたら聖典は不平等と葛藤の出発点だ。 結局宗教が‘パラオプコ ウォナオムヌンこと’ならば信義教えと人間の風が何なのかを今一度再確認してみることだ。





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2007年にカンボジアを訪れた外国人観光客数が04年からわずか3年でほぼ倍増し、初めて200万人を突破したことが、同国観光省の調べで分かった。背景には世界遺産アンコールワット遺跡群の根強い人気だけでなく、経済発展を続ける近隣の中国やベトナムからの観光客急増がある。
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 07年のカンボジアへの外国人観光客数は前年を約19%上回る約202万人。04年は約105万人だった。08年は240万人を見込む。

 タウン・コン観光相によると昨年の観光収入は国内総生産(GDP)の約15%に相当する14億ドル(約1484億円)で、観光業は繊維産業に次ぐ収入源となっている。

 観光相は観光客急増の理由として(1)内戦時代が過ぎ去り政情が安定(2)ホテルなどインフラ整備が進展(3)アンコールワット遺跡の玄関口、シエムレアプへの直行便の増加-などを挙げている。

 観光客数が多い上位3カ国は韓国(約33万人、前年比約16%増)、日本(約16万人、同2%増)、米国(約14万人、同11%増)。顕著な伸びを示したのが4位ベトナム(約13万人、同62%増)と5位中国(約12万人、同47%増)。国別の増加率では1位、2位となり、両国の経済発展に伴う海外旅行客の増加を裏付けた。(プノンペン 共同)
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バイヨン

バイヨン 2008.03.19 11:20
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シアヌークビルは
シアヌークビル (Sihanoukville) は、カンボジア南部のタイランド湾に面した港湾都市であり、コンポン・ソム (Kampong Som または Kampong Saom) という名でも知られる。シアヌークビルは、1964年に建設が始まり、当初は単にカンボジア唯一の大深度岸壁があるというだけであった。その後のカンボジア内戦で開発は頓挫し手付かずの自然が多く残ることになってしまったが、近年になってリゾートとして脚光を集めることになり、観光地化が進んでいる。市名は前国王ノロドム・シハヌークにちなむ。














 
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カンボジアは
カンボジア王国(カンボジアおうこく)はインドシナ半島にあり、ベトナム、タイ、ラオスに接している東南アジアの国。首都はプノンペン。近隣の国とは陸続きであるが、国民の90%以上がクメール人(カンボジア人)である。言語はクメール語(カンボジア語)、宗教は仏教(上座部仏教)である。

正式名称は、クメール語: (発音:プリアリアチアナチャクラ・カンプチア、ラテン文字表記:Preahreacheanachakr Kampuchea) プリアは王の称号。リアチアは王、アナチャクラは国で、両方合わせたリアチアナチャクラは王国と言う意味。隣国のタイの正式名称とよく似ている。

公式の英語表記は、Kingdom of Cambodia(キングダム・オブ・カンボゥディア)。略称は、Cambodia。

日本語表記は、カンボジア王国、通称は、カンボジア。漢字表記は柬埔寨。 カンボジアでは自分の国を「カンプチャ」と呼んでいて、建国者といわれるインドのバラモン僧「カンプー」とその子孫を意味する「チャ」に由来する。

独立後、ベトナムも介入した内戦が続き、1975年から1979年にかけて共産主義政党クメール・ルージュの独裁者ポル・ポトの政権下で国内で当時の人口のおよそ三分の一にあたる200万人とも言われる途方もない規模の大虐殺が行われた(数については諸説あり)。その後も内戦状態だったが国連の仲介で収束し、新憲法が制定され、現在に至る。この時の国連の代表が日本国籍の明石康代表である。

 



 
 




 




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バンテアイ・スレイ は
バンテアイ・スレイ (Banteay Srei) はカンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、ヒンドゥー教の寺院遺跡。北緯13度59分、東経103度58分で、アンコール・ワットの北東部に位置する。


環濠南東よりバンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味する。大部分が赤い砂岩により建造されている。規模こそ小さいが、精巧で深くほられた美しい彫刻が全面に施されている。こうしたことから観光客には大変な人気があり、「アンコール美術の至宝」などと賞賛されている。中でもデヴァターの彫像は「東洋のモナリザ」とも呼ばれている。

967年、ラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成する。建立は、近くの土地を領し王師を務めていたヤジュニャヴラーハが行った。

アンコール朝の衰退に伴い忘れ去られていたが、1914年に再発見される。1923年にはフランス人のアンドレ・マルローがデヴァター像を盗み出して逮捕され、注目を集めた。マルローは後にこの体験を基に小説『王道』を記している。

現在はカンボジアの安定に伴い、多くの観光客が訪れている。

寺院はラテライトと紅い砂岩で築かれており、東を正面としている。

外周壁の塔門をくぐり75mの参道を進むと、第一周壁とその塔門に着く。周壁はラテライトで築かれ南北94m東西109mあり濠を囲んでいる。塔門をくぐり土を盛った橋を渡ると、第二周壁とその塔門があり、正面に祠が見え始める。

塔門をくぐると次は左右にリンガが並んだ参道を進み、第三周壁の塔門に入ると、中には刻まれた碑文が見られる。それを抜けると中央祠堂の前室に至る。ここまでの塔門は、中央に近づく程に間口と高さを狭めており、遠近により狭い寺院を広く見せている。

前室の左右には経蔵があり、それぞれ東側の偽扉と西側の入口を持ち、三重の破風で飾られている。破風にはヒンドゥー教の神話が、精密かつ立体的に彫られており、南経蔵の破風では、下段に世界を揺らす悪魔と逃げ惑う動物が、上段に神とその妻が彫られている。

寺院中央の南北に三つ並んだ祠堂と前室は、丁字型の基段上に築かれており、基段上へ登るには、前室の三方と南北祠堂の正面に加え、中央祠堂の背面に階段が有る。祠堂は全面が彫刻で飾られており、中央の祠堂には門衛神の「ドヴァラパーラ」が、南北の祠堂には「東洋のモナリザ」と評されるデヴァターの像が柔らかな曲線で彫られ、美しい姿を見せている。














 


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バイヨン は

バイヨン 2008.03.17 14:07
バイヨン は
バイヨン (Bayon) は、カンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥー・仏教混交の寺院跡。アンコール・トムの中央付近にある。バイヨンの呼び方で広く広まっているが、クメール語の発音ではバヨンの方が近い。バは「美しい」という意味で、ヨンは「塔」の意味を持つ。

バイヨンを特徴付けているのは、中央祠堂をはじめ、塔の4面に彫られている人面像(バイヨンの四面像)である。人面像は観世菩薩像を模しているというのが一般的な説である。しかし戦士をあらわす葉飾り付きの冠を被っていることから、ジャヤーヴァルマン7世を神格化して偶像化したものであるとする説も存在する。

また他のアンコール遺跡に残るクメール建築と同じく疑似アーチ構造を多用した建築構造をもっている。

建築全体ではおおむね三層に分かれており、高さ約43mといわれる中央祠堂を中心に、その第一層に二重の回廊が配置された構造となっている。

50近い塔に合わせて117個の人面像が残る(異説あり)。人面像の高さは1.7~2.2m程度で、個々にばらつきがある。

第一層
第一層には東西南北全方向に門がある。中でも東門の近くには両側に池のあるテラスがある。

第一回廊にもレリーフが残る。アンコール・ワットにも存在する乳海攪拌のレリーフなどであるが、保存状態があまり良くない。

第二回廊(外回廊)は約160m×120m。正面は、東側を向いていている。現在残るレリーフは、他のアンコール遺跡とは大きく異なった特徴を持つ。第二回廊にはチャンパとの戦争の様子やバイヨン建設当時の市場の様子や狩の様子などがレリーフに彫り込まれており、庶民の暮らしを窺い知ることのできる貴重な資料にもなっている。

第二層
16の塔があり、どの塔にも前述の観音菩薩と思われる四面像が彫られている。第二層の回廊にはヒンドゥー教色の強いレリーフがデザインされている。

第三層
第三層はテラスとなっており、やはりどの塔にも観音菩薩とおぼしき四面像が彫られている。第三層の中央には過去にシヴァリンガが置かれていたとされるが、後世の人が除去し、現在では上座部仏教(小乗仏教)の像が置かれている。

アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン7世がチャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられており、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されている。当初は大乗仏教の寺院であったが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると、寺院全体がヒンドゥー化した。これは、建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡があることや、ヒンドゥーの神像があることなどからも推測できる。

1933年に、フランス極東学院の調査によって、中央祠堂からブッダの像が発見された。

 











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